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○ 酒造り
<酒造り発展の要因>
魚崎の南部地域は灘五郷の1つ、魚崎郷 (古くは上灘郷)として全国的にも有名な酒造地帯です。
魚崎の酒造りにはおよそ300年の歴史があり、その発展の背景には主に次のような3つの代表的要因がありました。
1つ目は、1840年にこの地で酒造りをしていた山邑太左衛門が酒造りに適した水「宮水」を発見したこと、
2つ目は、山と海に挟まれた地の利を海上輸送、川の急流を利用した精米、山から吹き降ろす冷たい風による温度調整などに生かせたこと、
そして3つ目は、優秀な丹波杜氏に恵まれたことです。
<酒蔵のまちなみ>
酒蔵については、1945年の空襲と1995年の阪神淡路大震災で、灘五郷一帯に大きな被害がありました。
魚崎郷では、震災前には空襲をまぬがれた酒蔵(江戸時代後期から明治・大正時代に建てられた木造やレンガ造りの酒蔵)が比較的残っていて、
一帯を歩くだけで、200年以上にわたる酒蔵の変遷をうかがい知ることができましたが、
1995年の震災によって、文化財として価値が認められていた酒蔵をはじめ、この地域のほとんどすべての酒蔵が倒壊しました。
<近年の状況>
1980年頃から日本酒の消費が落ち込んでいた酒造メーカーにとって震災は大きな痛手でした。
特に魚崎郷には中小の酒造メーカーが多かったため、震災の影響は、設備投資や販売網の面で重くのしかかってきました。
実は、1980年から震災の起こる前年の1994年の間にも、魚崎郷内の酒造メーカーは3社減っていましたが、
震災以後、魚崎郷内での復興を断念したり、転廃業したメーカーは6社にものぼります。現在魚崎郷内で酒造りを続けているのは7社のみです。
○ だんじり
魚崎が1950年の神戸市との合併以前は1つの行政区(町)であったこと、
また、それ以前は魚崎村、横屋村に分かれていたことは、魚崎の歴史に書きましたが、だんじりも「魚崎」と「横屋」にそれぞれ存在します。
<魚崎>
魚崎のだんじりは、現在は魚崎八幡宮神社に宮入りしていますが、江戸時代から氏子わかれをする明治41年ごろまでは、
本住吉神社に宮入りをしていました。
明治22年、先代のだんじりを住之江地区に売却し、河内方面から現在のだんじりを購入しました。
昭和38年から昭和60年までの23年間、だんじりは公に曳かれることはありませんでしたが、昭和61年に魚崎地車保存会が設立され、
だんじりが復活しました。
阪神淡路大震災ではだんじりの維持に適していた土壁の地車小屋が残念ながら倒壊しましたが、平成9年に新築しました。
平成13年には子どもだんじり(1845年購入)も復活しました。
<横屋>
横屋のだんじりは、魚崎と同じく古くは本住吉神社に宮入りをしていましたが、氏子わかれをして現在は横屋八幡宮神社に宮入りしています。
横屋には、明治時代は大型のだんじりがありましたが、大正初期に処分され、
昭和初期に淡路の多賀村からだんじりを購入しました。
戦後は昭和30年以降曳かれることはありませんでしたが、昭和53年に小屋を新築し、昭和57年頃からこの年新調した神輿とともに再び曳かれるようになりました。
(木村清弘『だんじりが百倍楽しめる本』より)
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